ドイツの旅からカウアイに戻って7日目。
私はふたたび日本に向かう飛行機の中にいる。

フラでヨーロッパ各地や日本を旅すると言うのは、自分のクム(フラの先生)や、自分が属しているハラウ(フラのスクール)を知るのに、とてもいい機会になる。レッスン中で学ぶフラの知識と言うのは、たとえばその時に習っている曲にちなんだ話や、その背景的な話が中心になることが多い。

それに比べて、旅する中で、四方山話のように何気なくクムが語る、自分が習って来たフラだとか、いまは亡くなってしまった、伝説のフラの人々が生きていた時代の話や、彼女たちとどういった話をしていたか、それぞれどんな性格の人だったのか、そう言ったことを聞けるのは、レッスン時間よりも、旅から旅の移動中と言うことが圧倒的に多い。
もともと、私がフラを始めたきっかけの中に、
ハワイの先住民文化を知りたいと言うこと。そして、ハワイの人たちが、自国の伝統と言うものをどうやって次世代に渡していくのか、それを間近で見てみたかったと言うことがある。なので、そういった世代を超えてのフラ・ライン(日本で言うと、ちょっと違うけれど、日本舞踊の流派的な感じ!?)の話や、それをどう残したいと思っているかと言う話を聞くのは、大大大好きな私である。

ある日のレッスン風景。窓からは緑が見え、太陽の光りがいつも射す広々としたレッスンルーム。パレオなどでレッスンルームが飾られているのもヨーロッパ・レッスンではお決まりの光景
ある日のレッスン風景。窓からは緑が見え、太陽の光りがいつも射す広々としたレッスンルーム。パレオなどでレッスンルームが飾られているのもヨーロッパ・レッスンではお決まりの光景

そして、幸運にもそういう役割りを担う機会を与えてもらって、フラで各地に出かける、相変わらず旅の多い暮らしをしている。旅に出て、カウアイに戻る度に暮らしのリズムを元に戻すのに、だんだん時間がかかっているように思うけれど(年齢のせい!? 笑)….。
正直に言えば、時々は、旅の多い日々に、気持ちが息切れしそうになることもある。それでも自分が学べること、吸収できることの大きさを考えれば、息切れしている場合じゃない、と思う。(笑)
そして根っこのところで、きっと私はこういう各地を行ったり来たりする暮らしが、性に合っているのだろうなとも思う。

レッスンの合間に、リンダウの町をホロホロ。石畳の道路、古い建築物を活かした建てもの。ヨーロッパの町ならではの風景に出会えるのも楽しい。
レッスンの合間に、リンダウの町をホロホロ。石畳の道路、古い建築物を活かした建てもの。ヨーロッパの町ならではの風景に出会えるのも楽しい

カウアイ、日本、ヨーロッパ各地に出かける中で本当に興味深いのが、「フラの時間に何を求めるか」と言うことがまったく違うこと。それゆえに各地でのレッスンの時間が、まったく違う空間になるということだ。

たとえば日本のクラスだと、「踊りのフラ」中心のレッスンになる。フラのレッスンを実施しに行っているのだから当たり前だけれど、これはたぶん日本特有のレッスン風景である。「フラ=踊り」と言う認識がフラをやっている人々の中で共有意識としてベースにある日本ならではの風景ではないだろうか。そして、その部分がハワイのローカルのハラウとかなり似ているゆえに、日本人には教えやすいと言うクム・フラが多くいるのではないだろうか。

一方で私たちが学んでいる中で、クムが言うのは、Hula is life. フラ・イズ・ライフということでもある。フラは生活している全時間にあるもの。
そして、フラを踊るということは、瞬間瞬間というドットのような時間を紡いでいくことだと。
どんなに上手にキレイにフラが踊れても、
普段の暮らしの中で、人として思いやりがなかったり、品のない行動をしていれば、フラ・プラクティショナーとしては、もっと学ぶ必要がある、と教わっている。

フラは踊りそれ単体では成り立たない。
その根本に「Huna( フナ) … 精神性」がある。
ドイツではこの「Huna」に触れに来る人が多いのが特徴ではないだろうか。

以前にも書いたことがあると思うが、
ドイツではフラ・プラクティショナーよりも、
ロミ・プラクティショナーが圧倒的に多い。
そんな中で、ハワイの文化や精神性を知りたいと思う上で、避けて通れないのが「フラ」。
そういう捉え方をしているように思う。

「自分を癒す」糸口を見つけたくて、心身を癒すロミ、フラの精神性、ホオポノポノなどに携わりたいという人が多いように思える。
もちろん、ストイックにフラの踊りのテクニックを!と言う人に合うレッスンも開催されているとは思うが、私たちのハラウのワークショップに来る人はそういう傾向の人が多い。

そして、かならず出て来るのが、ドイツが持つその歴史である。戦争と宗教的な慣習の中でたくさんの人が痛みを負い、命を落として来た。それらの歴史に対して自分はどうやって向き合って行ったらいいのか。その答えを探す糸口に、ハワイの文化に触れに来ているのだというフラ・シスターが多くいる。

滞在していたホテルからの朝焼け。ボーデンシー湖のほとりで対岸にはスイスが見える。
滞在していたホテルからの朝焼け。ボーデンシー湖のほとりで対岸にはスイスが見える

それから、ミュンヘンやフランクフルトなどの都会で暮らしていると、忙しい暮らしの中で気持ちがすり減っていく気がすると言う人も多い。そういう状態にどう向き合うか、どうやって自分自身の心身のバランスを取るか、その糸口を探しに来ていると言う人も少なくない。

ヨーロッパに行くようになって、ドイツ内の都心部で暮らす人たちの日々の忙しさ、気持ちの軋み具合が深刻なのだなと言うことを知った。忙しくて気持ちに余裕がなかなか持てないでいる…といえば、日本の暮らしに思いを寄せていた私には、少し驚きの事実だった。実際にミュンヘンやフランクフルトなど都心部の人々の気持ちの余裕になさは、なかなかのものである。

アメリカが好き。ハワイが好き。アラスカが好き。
で来た私が、ヨーロッパにこんなに足を運ぶようにまるなんて思いもしなかったけれど、これも何かのご縁だろうか。

レッスン会場から出ると、そこに美しい夕景が広がっていた。
レッスン会場から出ると、そこに美しい夕景が広がっていた。

縁があって出会う土地、人々、さまざまな時間の中での一期一会を大切に、私自身は瞬間瞬間というドットのような時間たちを、自分らしいラインになるように、丁寧に楽しみながら、紡いでいきたいなと思う。

到着地まで、あと4時間!
飛行時間10時間は、いつものことながら長いのである。

フラの、カタチ。http://www.holoholo.world/kawaraban/wp-content/uploads/2017/03/IMG_6795r2.jpghttp://www.holoholo.world/kawaraban/wp-content/uploads/2017/03/IMG_6795r2-150x150.jpgミノリ エヴァンスカウアイ日記ハワイ,フラドイツの旅からカウアイに戻って7日目。 私はふたたび日本に向かう飛行機の中にいる。 フラでヨーロッパ各地や日本を旅すると言うのは、自分のクム(フラの先生)や、自分が属しているハラウ(フラのスクール)を知るのに、とてもいい機会になる。レッスン中で学ぶフラの知識と言うのは、たとえばその時に習っている曲にちなんだ話や、その背景的な話が中心になることが多い。 それに比べて、旅する中で、四方山話のように何気なくクムが語る、自分が習って来たフラだとか、いまは亡くなってしまった、伝説のフラの人々が生きていた時代の話や、彼女たちとどういった話をしていたか、それぞれどんな性格の人だったのか、そう言ったことを聞けるのは、レッスン時間よりも、旅から旅の移動中と言うことが圧倒的に多い。 もともと、私がフラを始めたきっかけの中に、 ハワイの先住民文化を知りたいと言うこと。そして、ハワイの人たちが、自国の伝統と言うものをどうやって次世代に渡していくのか、それを間近で見てみたかったと言うことがある。なので、そういった世代を超えてのフラ・ライン(日本で言うと、ちょっと違うけれど、日本舞踊の流派的な感じ!?)の話や、それをどう残したいと思っているかと言う話を聞くのは、大大大好きな私である。 そして、幸運にもそういう役割りを担う機会を与えてもらって、フラで各地に出かける、相変わらず旅の多い暮らしをしている。旅に出て、カウアイに戻る度に暮らしのリズムを元に戻すのに、だんだん時間がかかっているように思うけれど(年齢のせい!? 笑)....。 正直に言えば、時々は、旅の多い日々に、気持ちが息切れしそうになることもある。それでも自分が学べること、吸収できることの大きさを考えれば、息切れしている場合じゃない、と思う。(笑) そして根っこのところで、きっと私はこういう各地を行ったり来たりする暮らしが、性に合っているのだろうなとも思う。 カウアイ、日本、ヨーロッパ各地に出かける中で本当に興味深いのが、「フラの時間に何を求めるか」と言うことがまったく違うこと。それゆえに各地でのレッスンの時間が、まったく違う空間になるということだ。 たとえば日本のクラスだと、「踊りのフラ」中心のレッスンになる。フラのレッスンを実施しに行っているのだから当たり前だけれど、これはたぶん日本特有のレッスン風景である。「フラ=踊り」と言う認識がフラをやっている人々の中で共有意識としてベースにある日本ならではの風景ではないだろうか。そして、その部分がハワイのローカルのハラウとかなり似ているゆえに、日本人には教えやすいと言うクム・フラが多くいるのではないだろうか。 一方で私たちが学んでいる中で、クムが言うのは、Hula is life. フラ・イズ・ライフということでもある。フラは生活している全時間にあるもの。 そして、フラを踊るということは、瞬間瞬間というドットのような時間を紡いでいくことだと。 どんなに上手にキレイにフラが踊れても、 普段の暮らしの中で、人として思いやりがなかったり、品のない行動をしていれば、フラ・プラクティショナーとしては、もっと学ぶ必要がある、と教わっている。 フラは踊りそれ単体では成り立たない。 その根本に「Huna( フナ) ... 精神性」がある。 ドイツではこの「Huna」に触れに来る人が多いのが特徴ではないだろうか。 以前にも書いたことがあると思うが、 ドイツではフラ・プラクティショナーよりも、 ロミ・プラクティショナーが圧倒的に多い。 そんな中で、ハワイの文化や精神性を知りたいと思う上で、避けて通れないのが「フラ」。 そういう捉え方をしているように思う。 「自分を癒す」糸口を見つけたくて、心身を癒すロミ、フラの精神性、ホオポノポノなどに携わりたいという人が多いように思える。 もちろん、ストイックにフラの踊りのテクニックを!と言う人に合うレッスンも開催されているとは思うが、私たちのハラウのワークショップに来る人はそういう傾向の人が多い。 そして、かならず出て来るのが、ドイツが持つその歴史である。戦争と宗教的な慣習の中でたくさんの人が痛みを負い、命を落として来た。それらの歴史に対して自分はどうやって向き合って行ったらいいのか。その答えを探す糸口に、ハワイの文化に触れに来ているのだというフラ・シスターが多くいる。 それから、ミュンヘンやフランクフルトなどの都会で暮らしていると、忙しい暮らしの中で気持ちがすり減っていく気がすると言う人も多い。そういう状態にどう向き合うか、どうやって自分自身の心身のバランスを取るか、その糸口を探しに来ていると言う人も少なくない。 ヨーロッパに行くようになって、ドイツ内の都心部で暮らす人たちの日々の忙しさ、気持ちの軋み具合が深刻なのだなと言うことを知った。忙しくて気持ちに余裕がなかなか持てないでいる...といえば、日本の暮らしに思いを寄せていた私には、少し驚きの事実だった。実際にミュンヘンやフランクフルトなど都心部の人々の気持ちの余裕になさは、なかなかのものである。 アメリカが好き。ハワイが好き。アラスカが好き。 で来た私が、ヨーロッパにこんなに足を運ぶようにまるなんて思いもしなかったけれど、これも何かのご縁だろうか。 縁があって出会う土地、人々、さまざまな時間の中での一期一会を大切に、私自身は瞬間瞬間というドットのような時間たちを、自分らしいラインになるように、丁寧に楽しみながら、紡いでいきたいなと思う。 到着地まで、あと4時間! 飛行時間10時間は、いつものことながら長いのである。ハワイの自然・文化・歴史、ライフスタイルを語る