歴史

ハワイ人の主食であるカロ(タロイモ / サトイモの一種)は、主に熱帯の高温多雨地帯で栽培されます。原産地はインドからインドネシアに至る地域で、紀元前500年頃に地中海とエジプト一帯に広がり、大西洋を越えてカリブ海から南アメリカへと広がりました。東方へは、ミャンマーや中国に伝わり、さらにミクロネシアを経てポリネシアへと伝わったとされます。(異なる説もあります。)

ポリネシアに到来したカロは、サモアやタヒチ、トンガ、マンガレヴァなど、多くの地域で「タロ」と呼ばれます。ハワイ語は「T」の代わりに「K」が使われますが、これは、文字を作成した英米の学者たちの影響によるもので、ハワイ諸島においてもカロとともに、タロという言葉も用いられました。タロイモは、ポリネシアを含む太平洋の広い範囲で、共通の食文化を普及させたのです。

カロの根茎部分
カロの根茎部分

神話

ハワイ諸島に人が住み着いた初期の頃には、カロはとても貴重な食べ物でした。そのため、日常の食糧ではなく、儀式や薬として用いられました。そのことを想起させる、次のようなハワイ神話があります。

創造の神ワーケアと、その娘ホオホクカラニの間にできた子は死産だったため埋葬された。やがてそこから芽が伸び、ハワイで最初のカロが誕生した。彼らは再び赤ん坊をもうけ、その子にハーロアと名づけた。ハーロアは長じてハワイ人の祖となったため、ハワイではカロと人は兄弟であると信じられた。

この神話の背景には、カロがきわめて貴重な食糧であるというメッセージが込められています。そして、この神話が伝統文化のなかに根づいたことで、カロは貴い食糧として尊重されるようになったと言えるでしょう。

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ロイで育つカロ

食糧

マルケサス諸島から移住した人々は、カロの他にも、ウアラ(サツマイモ)、ウル(パンノキの実)、マイア(バナナ)などを主食としました。その後、ソサイエティ諸島(タヒチ)から移住してきた人々は多くのロイを作り、カロが主食の中心になっていきました。

ハワイの伝統社会は、アフプアアと名づけられた領地に小分けされ、人々はそれぞれ、山麓から海に至る細長い土地で暮らしました。特別の事情がない限り相互の往来はなかったため、カロもまた、相互の行き来がないまま、決められた土地で栽培を続けました。その結果、アフプアアごとに独自のカロが栽培されることになりました。日本の主食である米と似た歴史を辿ったのです。

その結果、18世紀末にキャプテン・クックが来島した頃には、カロの品種は300を超すまでになりました。カロは水耕栽培が基本ですが、土地によっては潤沢な淡水を確保できなかったり、飢饉に備えたりするため、畑地での栽培も行いました。

カウアイ島ハナレイ地区のロイ
カウアイ島ハナレイ地区のロイ

衰退と復興

しかし、ハワイが諸外国に開かれると、ハワイ王国はビャクダンの輸出を図るために人々を森で働かせたため、暮らしの中心にあったロイ(ハワイ語で「水田」の意味)は打ち棄てられ、カロを基本とする伝統的な食文化は次第に衰頽していったのでした。

20世紀の後半になると、ハワイの伝統文化の復興運動が起きました。これに合わせ、ロイは諸島各地に復元され、再び日常食として流通するようになります。今日、カロの品種は500種近くあると言われますが、流通しているものは、100に満ちません。そのなかでもっとも多く出回っているカロの品種は「レフア」というブランドです。そのなかでも「レフア・エレエレ」が最大栽培種とされます。

伝統社会において、タロはポイと呼ばれる主食として食べられました。ウム(地中に埋めて蒸す調理方式)で蒸してから水を加えながら叩き潰し、のり状にして食べたのです。ポイは必要な栄養素が過不足なく含まれる完全食として、伝統社会では赤ん坊の離乳食代わりにもなりました。水を混ぜずに餅のようにしたものや、焼いたものもあります。また、根茎部分だけでなく、ビタミンAやCが豊富な若葉や茎も食材となりました。

畑で栽培されるカロ
畑で栽培されるカロ

植物名

学  名:Colocasia esculenta
ハワイ名:Kalo, Taro
英  名:Taro, Dasheen
和  名:タロイモ、サトイモ
原 産 地:インド~インドシナ。
ポリネシア人が母国から持ち込んだ植物(カヌー・プラント)。多年草で、草丈は1~1.5m、花(花穂)は4~6cm。

トップ画像はロイに植えられたエレエレという品種のカロです。次回はハワイ島火山国立公園にあるアースクエイク・トレイルを紹介します。

 

 

 

カロ(タロイモ)の文化http://www.holoholo.world/kawaraban/wp-content/uploads/2016/10/top_0722.jpghttp://www.holoholo.world/kawaraban/wp-content/uploads/2016/10/top_0722-150x150.jpg近藤純夫特集カロ,サトイモ,タロ,ハワイ,ロイ,水田,食文化歴史 ハワイ人の主食であるカロ(タロイモ / サトイモの一種)は、主に熱帯の高温多雨地帯で栽培されます。原産地はインドからインドネシアに至る地域で、紀元前500年頃に地中海とエジプト一帯に広がり、大西洋を越えてカリブ海から南アメリカへと広がりました。東方へは、ミャンマーや中国に伝わり、さらにミクロネシアを経てポリネシアへと伝わったとされます。(異なる説もあります。) ポリネシアに到来したカロは、サモアやタヒチ、トンガ、マンガレヴァなど、多くの地域で「タロ」と呼ばれます。ハワイ語は「T」の代わりに「K」が使われますが、これは、文字を作成した英米の学者たちの影響によるもので、ハワイ諸島においてもカロとともに、タロという言葉も用いられました。タロイモは、ポリネシアを含む太平洋の広い範囲で、共通の食文化を普及させたのです。 神話 ハワイ諸島に人が住み着いた初期の頃には、カロはとても貴重な食べ物でした。そのため、日常の食糧ではなく、儀式や薬として用いられました。そのことを想起させる、次のようなハワイ神話があります。 創造の神ワーケアと、その娘ホオホクカラニの間にできた子は死産だったため埋葬された。やがてそこから芽が伸び、ハワイで最初のカロが誕生した。彼らは再び赤ん坊をもうけ、その子にハーロアと名づけた。ハーロアは長じてハワイ人の祖となったため、ハワイではカロと人は兄弟であると信じられた。 この神話の背景には、カロがきわめて貴重な食糧であるというメッセージが込められています。そして、この神話が伝統文化のなかに根づいたことで、カロは貴い食糧として尊重されるようになったと言えるでしょう。 食糧 マルケサス諸島から移住した人々は、カロの他にも、ウアラ(サツマイモ)、ウル(パンノキの実)、マイア(バナナ)などを主食としました。その後、ソサイエティ諸島(タヒチ)から移住してきた人々は多くのロイを作り、カロが主食の中心になっていきました。 ハワイの伝統社会は、アフプアアと名づけられた領地に小分けされ、人々はそれぞれ、山麓から海に至る細長い土地で暮らしました。特別の事情がない限り相互の往来はなかったため、カロもまた、相互の行き来がないまま、決められた土地で栽培を続けました。その結果、アフプアアごとに独自のカロが栽培されることになりました。日本の主食である米と似た歴史を辿ったのです。 その結果、18世紀末にキャプテン・クックが来島した頃には、カロの品種は300を超すまでになりました。カロは水耕栽培が基本ですが、土地によっては潤沢な淡水を確保できなかったり、飢饉に備えたりするため、畑地での栽培も行いました。 衰退と復興 しかし、ハワイが諸外国に開かれると、ハワイ王国はビャクダンの輸出を図るために人々を森で働かせたため、暮らしの中心にあったロイ(ハワイ語で「水田」の意味)は打ち棄てられ、カロを基本とする伝統的な食文化は次第に衰頽していったのでした。 20世紀の後半になると、ハワイの伝統文化の復興運動が起きました。これに合わせ、ロイは諸島各地に復元され、再び日常食として流通するようになります。今日、カロの品種は500種近くあると言われますが、流通しているものは、100に満ちません。そのなかでもっとも多く出回っているカロの品種は「レフア」というブランドです。そのなかでも「レフア・エレエレ」が最大栽培種とされます。 伝統社会において、タロはポイと呼ばれる主食として食べられました。ウム(地中に埋めて蒸す調理方式)で蒸してから水を加えながら叩き潰し、のり状にして食べたのです。ポイは必要な栄養素が過不足なく含まれる完全食として、伝統社会では赤ん坊の離乳食代わりにもなりました。水を混ぜずに餅のようにしたものや、焼いたものもあります。また、根茎部分だけでなく、ビタミンAやCが豊富な若葉や茎も食材となりました。 植物名 学  名:Colocasia esculenta ハワイ名:Kalo, Taro 英  名:Taro, Dasheen 和  名:タロイモ、サトイモ 原 産 地:インド~インドシナ。 ポリネシア人が母国から持ち込んだ植物(カヌー・プラント)。多年草で、草丈は1~1.5m、花(花穂)は4~6cm。 トップ画像はロイに植えられたエレエレという品種のカロです。次回はハワイ島火山国立公園にあるアースクエイク・トレイルを紹介します。      ハワイの自然・文化・歴史、ライフスタイルを語る