キラウエアの火山活動

キラウエア・カルデラは2008年に再び活動が活発化し、2018年5月には爆発的噴火を起こして深さと形を大きく変えました。その後も活動は続いており、6月20日現在、まだ落ち着きを取り戻していません。

ハレマウマウは火の女神であるペレが住むと言われます。ペレは、度重なる火山災害の結果、先住のハワイ人が編み出した火山活動の象徴と言えます。この女神はカヒキ(タヒチ)より到来し、西北の島から隣の島へと移り住み、ようやくハワイ島に安住の地を見出したとされます。ハワイ諸島が同じ順番で誕生したことを考えると象徴的な物語ですが、そのような情報を持っていたわけではないでしょう。

ハレマウマウの語源はハレ・アマウマウです。アマウマウとは、この一帯に生育するアマ・ウと呼ばれるシダの若い個体を指すことばで、アマウマウの家という意味があります。ここには火の女神とともに、一時期、夫であるカマプアアも住んでいました。彼はアマウを自在に扱うことができる神でもあったので、ハレマウマウという名には、カマプアアの意味が込められています。

1969年のマウナ・ウル噴火(Photo by USGS 米国地質調査所)
1969年のマウナ・ウル噴火(Photo by USGS 米国地質調査所)

チェーン・オブ・クレーターズとリフトゾーン

キラウエア・カルデラを中心にしたキラウエア火山の噴火の歴史については前回お話ししました。今回は、噴出した溶岩がどのように周辺の地形を変えていったかを見ていきましょう。1790年にキラウエア・カルデラはほぼいまのような形になったと言われています。その100年ほど後の1879年から1880年にかけてハレマウマウはかなり活発に活動しました。この時代のことは、作家になる前のマーク・トウェイン(サミュエル・L・クレメンズ)やイザベラ・バードも書き残しています。翌年にはマウナ・ロアの山頂カルデラからも噴火が起きましたが、この時期からキラウエア火山東西のリフトゾーンでも活発な噴火活動がはじまりました。東に伸びるイースト・リフトゾーンには規模の大きなクレーターがいくつもあります。

これらのクレーター群を総称して、チェーン・オブ・クレーターズと呼びますが、クレーターを結ぶように海岸へ下りるチェーン・オブ・クレーターズ・ロード沿いにはケアナカコイ、ルア・マヌ、プヒマヌ、コオコオラウ、ヒイアカ、パウアヒの各クレーターを見ることができます。クレーターはさらに東へ、マウナ・ウル、マカオプヒ、ナーパウ、プアイアルア、プウ・オー・オーと続きます。その先にもクーパイアナハーをはじめ、東の端までクレーターが連なっています。また南西側にはサウスイースト・リフトゾーンが伸び、車道はありませんが、トレイル沿いにプウ・コアエやマウナ・イキ、プウ・コウなどがあります。

キラウエア・イキ

キラウエア・イキの火山ガス(水蒸気)
キラウエア・イキの火山ガス(水蒸気)

1955年にイースト・リフトゾーンで大規模な噴火が起きました。また、1959年11月にはキラウエア・イキで噴火が起こりました。その3ヶ月後、マグニチュード7を超える巨大地震が発生し、周辺の道路も破断しました。キラウエア・カルデラの北東にあるアースクエイク・トレイルを歩けば、そのときの亀裂を見ることができます。溶岩は空中200mの高さまで立ちのぼりました。この噴火はキラウエア・イキの小クレーターから起きましたが、このときに吹き上げた多量の噴石が堆積してできたのがプウ・プアイです。噴火は同時にクレーターをいま見る深さにまでに掘り下げました。この噴石丘の南に付けられたデバステーション・トレイルを歩くと間近で確認できます。

現在のマウナウル
現在のマウナウル

マウナ・ウルとサウスウエスト・リフトゾーン

1972年2月、キラウエア・カルデラから南へ8kmほど離れたマウナ・ウルで噴火が起き、大量の溶岩が南の海に向かって流れはじめました。やがて溶岩の流出は止まりましたが、いまも噴火口からは盛んに噴煙を上げています。翌年にはマグニチュード6.3の地震とともに、マウナ・ウルと、西へ2kmのところにあるパウアヒ・クレーター、その西隣にあるヒイアカ・クレーターで噴火が起きました。1983年に起きたマウナ・ウルの噴火でも地震が発生しています。この地震はナパウ・クレーターやプウ・カモアモアに移っていきました。これは地下のマグマが上昇する際、岩盤を砕いたために起きた現象だと言われています。ヒイアカ・クレーターは1979年にも溶岩を流し、このときは多くの地震が発生しました。

1974年にサウスウエスト・リフトゾーンで大規模な噴火がありました。この年はマウナ・ウルやケアナカコイ・クレーターでも噴火が起きました。その後、1977年にイースト・リフトゾーンで噴火が起きました。

活発な活動を続けるプウ・オーオー
活発な活動を続けるプウ・オーオー

プウ・オー・オーからカポホに至るマグマの流れ

キラウエア・カルデラから東へ15キロほどの位置にあるプウ・オー・オーです。ここでは1983年から1986年にかけてもっとも大規模な溶岩の噴出があり、幅数キロメートルにわたる溶岩流を出現させました。最近は次第に活動が弱まる傾向にありますが、2005年4月以降、再び活発に溶岩を流し続けています。プウ・オー・オーからさらに東へ4キロのところにクーパイアナハーがあります。ここでは1986年から1989年にかけて噴火が起きています。とくに1986年の噴火は、確認されているキラウエアの噴火のなかで、もっとも長期間続きました。クーパイアナハーは90年代に入ってからも活動が続き、カラパナをはじめとする多くの集落が溶岩に埋めつくされました。

2018年5月、ハワイ島の西南端に近いレイラニ・エステートとカポホの間で激しい噴火が起き、溶岩流が一部の住宅街を埋め、海岸のひとつを潰しました。この噴火はイースト・リフトゾーンに沿って起きたもので、これまで長期に続いてきた火山活動の延長です。古くからこの島に住む人たちは、この地が火の女神ペレのものであることを理解しており、住居の焼失には悲しみがあるものの、諦めの気持ちもあります。現在、噴火は鎮静化へと移行しつつありますが、ハワイ島は成長を続ける島ですから、噴火はこれからも続きます。

火山活動については科学的な正しい知識を持つ必要があります。これらの活動はすべて島東南部の、ごく限られた土地で起きている現象であり、島の他の地区に及ぶことはないということです。事実、先月の爆発的噴火以来、フライトは休むことなく運行していますし、国立公園以外のすべての地域に問題はありません。ただし対象地域外であってもひとつ注意が必要です。噴煙の成分はつねに変わりますが、たいていは水蒸気ガスです。しかし、二酸化硫黄など、有毒ガスを含む火山ガスを噴出している場合は、風下にもそれなりの影響はあります。この影響が大きいか小さいかは人によって異なりますが、たとえば桜島の噴火と暮らす鹿児島市民の日常を考えていただければ分かりやすいでしょう。ハワイ島における噴火の影響は今のところは鹿児島より小さいと言えるでしょう。

現在、噴火活動中の地域
現在、噴火活動中の地域
キラウエア火山(2)http://www.holoholo.world/kawaraban/wp-content/uploads/2018/06/IMG_9340.jpghttp://www.holoholo.world/kawaraban/wp-content/uploads/2018/06/IMG_9340-150x150.jpg近藤純夫特集キラウエア,噴火,噴煙,溶岩,火山キラウエアの火山活動 キラウエア・カルデラは2008年に再び活動が活発化し、2018年5月には爆発的噴火を起こして深さと形を大きく変えました。その後も活動は続いており、6月20日現在、まだ落ち着きを取り戻していません。 ハレマウマウは火の女神であるペレが住むと言われます。ペレは、度重なる火山災害の結果、先住のハワイ人が編み出した火山活動の象徴と言えます。この女神はカヒキ(タヒチ)より到来し、西北の島から隣の島へと移り住み、ようやくハワイ島に安住の地を見出したとされます。ハワイ諸島が同じ順番で誕生したことを考えると象徴的な物語ですが、そのような情報を持っていたわけではないでしょう。 ハレマウマウの語源はハレ・アマウマウです。アマウマウとは、この一帯に生育するアマ・ウと呼ばれるシダの若い個体を指すことばで、アマウマウの家という意味があります。ここには火の女神とともに、一時期、夫であるカマプアアも住んでいました。彼はアマウを自在に扱うことができる神でもあったので、ハレマウマウという名には、カマプアアの意味が込められています。 チェーン・オブ・クレーターズとリフトゾーン キラウエア・カルデラを中心にしたキラウエア火山の噴火の歴史については前回お話ししました。今回は、噴出した溶岩がどのように周辺の地形を変えていったかを見ていきましょう。1790年にキラウエア・カルデラはほぼいまのような形になったと言われています。その100年ほど後の1879年から1880年にかけてハレマウマウはかなり活発に活動しました。この時代のことは、作家になる前のマーク・トウェイン(サミュエル・L・クレメンズ)やイザベラ・バードも書き残しています。翌年にはマウナ・ロアの山頂カルデラからも噴火が起きましたが、この時期からキラウエア火山東西のリフトゾーンでも活発な噴火活動がはじまりました。東に伸びるイースト・リフトゾーンには規模の大きなクレーターがいくつもあります。 これらのクレーター群を総称して、チェーン・オブ・クレーターズと呼びますが、クレーターを結ぶように海岸へ下りるチェーン・オブ・クレーターズ・ロード沿いにはケアナカコイ、ルア・マヌ、プヒマヌ、コオコオラウ、ヒイアカ、パウアヒの各クレーターを見ることができます。クレーターはさらに東へ、マウナ・ウル、マカオプヒ、ナーパウ、プアイアルア、プウ・オー・オーと続きます。その先にもクーパイアナハーをはじめ、東の端までクレーターが連なっています。また南西側にはサウスイースト・リフトゾーンが伸び、車道はありませんが、トレイル沿いにプウ・コアエやマウナ・イキ、プウ・コウなどがあります。 キラウエア・イキ 1955年にイースト・リフトゾーンで大規模な噴火が起きました。また、1959年11月にはキラウエア・イキで噴火が起こりました。その3ヶ月後、マグニチュード7を超える巨大地震が発生し、周辺の道路も破断しました。キラウエア・カルデラの北東にあるアースクエイク・トレイルを歩けば、そのときの亀裂を見ることができます。溶岩は空中200mの高さまで立ちのぼりました。この噴火はキラウエア・イキの小クレーターから起きましたが、このときに吹き上げた多量の噴石が堆積してできたのがプウ・プアイです。噴火は同時にクレーターをいま見る深さにまでに掘り下げました。この噴石丘の南に付けられたデバステーション・トレイルを歩くと間近で確認できます。 マウナ・ウルとサウスウエスト・リフトゾーン 1972年2月、キラウエア・カルデラから南へ8kmほど離れたマウナ・ウルで噴火が起き、大量の溶岩が南の海に向かって流れはじめました。やがて溶岩の流出は止まりましたが、いまも噴火口からは盛んに噴煙を上げています。翌年にはマグニチュード6.3の地震とともに、マウナ・ウルと、西へ2kmのところにあるパウアヒ・クレーター、その西隣にあるヒイアカ・クレーターで噴火が起きました。1983年に起きたマウナ・ウルの噴火でも地震が発生しています。この地震はナパウ・クレーターやプウ・カモアモアに移っていきました。これは地下のマグマが上昇する際、岩盤を砕いたために起きた現象だと言われています。ヒイアカ・クレーターは1979年にも溶岩を流し、このときは多くの地震が発生しました。 1974年にサウスウエスト・リフトゾーンで大規模な噴火がありました。この年はマウナ・ウルやケアナカコイ・クレーターでも噴火が起きました。その後、1977年にイースト・リフトゾーンで噴火が起きました。 プウ・オー・オーからカポホに至るマグマの流れ キラウエア・カルデラから東へ15キロほどの位置にあるプウ・オー・オーです。ここでは1983年から1986年にかけてもっとも大規模な溶岩の噴出があり、幅数キロメートルにわたる溶岩流を出現させました。最近は次第に活動が弱まる傾向にありますが、2005年4月以降、再び活発に溶岩を流し続けています。プウ・オー・オーからさらに東へ4キロのところにクーパイアナハーがあります。ここでは1986年から1989年にかけて噴火が起きています。とくに1986年の噴火は、確認されているキラウエアの噴火のなかで、もっとも長期間続きました。クーパイアナハーは90年代に入ってからも活動が続き、カラパナをはじめとする多くの集落が溶岩に埋めつくされました。 2018年5月、ハワイ島の西南端に近いレイラニ・エステートとカポホの間で激しい噴火が起き、溶岩流が一部の住宅街を埋め、海岸のひとつを潰しました。この噴火はイースト・リフトゾーンに沿って起きたもので、これまで長期に続いてきた火山活動の延長です。古くからこの島に住む人たちは、この地が火の女神ペレのものであることを理解しており、住居の焼失には悲しみがあるものの、諦めの気持ちもあります。現在、噴火は鎮静化へと移行しつつありますが、ハワイ島は成長を続ける島ですから、噴火はこれからも続きます。 火山活動については科学的な正しい知識を持つ必要があります。これらの活動はすべて島東南部の、ごく限られた土地で起きている現象であり、島の他の地区に及ぶことはないということです。事実、先月の爆発的噴火以来、フライトは休むことなく運行していますし、国立公園以外のすべての地域に問題はありません。ただし対象地域外であってもひとつ注意が必要です。噴煙の成分はつねに変わりますが、たいていは水蒸気ガスです。しかし、二酸化硫黄など、有毒ガスを含む火山ガスを噴出している場合は、風下にもそれなりの影響はあります。この影響が大きいか小さいかは人によって異なりますが、たとえば桜島の噴火と暮らす鹿児島市民の日常を考えていただければ分かりやすいでしょう。ハワイ島における噴火の影響は今のところは鹿児島より小さいと言えるでしょう。ハワイの自然・文化・歴史、ライフスタイルを語る