ハワイで何気なく買ったミネラル・ウォーターのボトルに、笑顔で踊っているような人が描かれたラベルが、貼られていたことはありませんか。ラベルに描かれた男性は、マロ(トラディショナルなハワイのふんどし)とレイをつけて、マヒオレ(羽で覆われたヘルメット)のようなものを被っています。カメハメハ大王像にも似ているので、ハワイの王様なのかな、と思われた方は、ミネラル・ウォーターの名前を見てください。「MENEHUNE」メネフネ? メネフネって誰でしょう。今回は、メネフネとメネフネが残した(と言われる)史跡についてご紹介します。

ラベルにメネフネが描かれた、メネフネ・ウォーターのペットボトル
ラベルにメネフネが描かれた、メネフネ・ウォーターのペットボトル

メネフネは、昔々ハワイに住んでいた、と言われる、身体の小さな人々です。背の高さは2,3フィート(60cmから90cm)とも6インチ(15cm)ほど、とも言われていて、はっきりしません。よくわからないのは、メネフネは人前に現れることを、とても嫌っているからかもしれません。でも、ハワイにはメネフネが作った、と言われる史跡や、メネフネにまつわる伝説がたくさん残っています。メネフネは、陽気でいたずら好きだけど、力持ちで勤勉。おいしいものが好きで、ごちそうと引き換えに、人間ではなかなか作れない物を、あっという間に作ってくれたりしました。

カウアイ島で見かけた、メネフネのパネル
カウアイ島で見かけた、メネフネのパネル

メネフネの伝説は、ハワイの各地に残っていますが、なかでも多く残っているのはカウアイ島です。カウアイ島の東、ナヴィリナヴィリ港のすぐ近くにあるアレココは、通称メネフネ・フィッシュポンド(養魚池)と呼ばれています。と言うのも、この養魚池はメネフネが一夜にして作った、と言われているからです。ある月夜に、メネフネたちは30kmほど離れた場所から石を運び、養魚池を作り始めました。メネフネたちは、仕事中に犬やニワトリの鳴き声を聞いたり、人に見られたら作業を止める、と人間たちに伝えましたが、好奇心に負けた人間が作業を覗いたため、養魚池は未完成になってしまったそうです。養魚池は、千年以上前に作られたにも関わらず、非常に緻密にできています。メネフネの仕事は、丁寧で迅速、と言われていますからね。フレマル・ロードをナヴィリナヴィリ港へと降りて行くと、唐突にアレココ養魚池を臨む展望台が現れます。マングローブに囲まれた養魚池は、とても大きくて、晴れた日は池の向こうに見える山並みが、きれいです。

アレココ、通称メネフネ・フィッシュポンド
アレココ、通称メネフネ・フィッシュポンド

ワイメアはオアフ島にもハワイ島にもある町の名前ですが、カウアイ島のワイメアはワイメア・キャニオンへの入り口の町でもあり、かつてサトウキビ・プランテーションで栄えた町でもあり、キャプテン・クックがハワイに初めて上陸した場所でもあります。ワイメアから、その名もメネフネ・ロードをどんどん行ったところに、メネフネが作ったと言われる水路があります。キキアオラ、通称メネフネ・ディッチは、道路脇にある細い水路ですが、川よりも高い場所にある畑に水を引くなど、高度な技術で作られました。使用された石材から、タヒチから多くの人々が移住してくる以前に、作られたものではないか、とも言われています。ハワイアンよりも前に定住した民族が作ったのでしょうか、それともメネフネが作ったのでしょうか?さて今回は、メネフネの仕事の様子を覗いたり、犬やニワトリを鳴かせたりしない、という約束が守られたため、この水路は完成しました。お礼に川エビが、メネフネたち振舞われたそうです。水路の大部分は、今はもうありません。残っている水路は、一見、道路脇の溝のよう。でも、よく見ると小さなトンネルを作って崖に水路を通していたり、メネフネならではの技術を感じます。

メネフネ・ディッチ。水路は小さなトンネルへと続いている
メネフネ・ディッチ。水路は小さなトンネルへと続いている

カウアイ島の東、ワイルアにあるノウノウ山は、スリーピング・ジャイアントと呼ばれています。昔々、プニという巨人が、メネフネたちと仲良く暮らしていました。ある夜、オアフ島の人々が、海を渡ってカウアイ島へ攻めてきました。メネフネたちは、眠っているプニを起こそうとしますが、なかなか起きません。メネフネたちは、石をプニに投げて起こそうとしましたが、この石が原因でプニは死んでしまいます。一方、オアフ島から攻めてきた人々は、プニの寝姿に驚いて逃げ帰りました。敵が逃げ帰ったのは良かったのですが、プニが死んでしまい、メネフネたちはとても嘆き悲しみました。そのプニの亡骸が、ノウノウ山ということです。現在、ノウノウ山は、人気のトレッキング・コースになっています。プニは死んだのではなく、眠っているだけ、という話もあるので、山登り中に巨人が起きないといいですね。

ノウノウ山に登るトレイルの入り口
ノウノウ山に登るトレイルの入り口

ところで、メネフネは本当にいたのでしょうか。メネフネは、タヒチからポリネシア人がハワイへ移住する前、マルケサス諸島から移住してきた人々だったのではないか、という説があります。タヒチから移住してきた人々と、マルケサス諸島から移住してきた人々に、それほどの体格差はなかったと思われますが、マイノリティという意味で「小さい人々」と言われたのかもしれません。19世紀初頭に、カウアイ島の国勢調査で65人の人たちが、自分たちはメネフネである、と申請しましたが、身体が小さい人たちではなかったそうです。

メネフネが旅立った(かもしれない)、カウアイ島北西の海岸
メネフネが旅立った(かもしれない)、カウアイ島北西の海岸

自分たちはメネフネである、と申請した人たちは、カウアイ島北部に住む人たちでしたが、メネフネたちはカウアイ島の北部から、更に北へと旅立った、と言われています。カウアイ島の北西に連なる北西ハワイ諸島の中には、ヘイアウ(ハワイの寺院)と思われる遺跡が発見されている島がありますが、メネフネが立ち寄った跡かもしれません。

メネフネを探そう!https://www.holoholo.world/kawaraban/wp-content/uploads/2020/07/hawaiibiyori262.jpghttps://www.holoholo.world/kawaraban/wp-content/uploads/2020/07/hawaiibiyori262-150x150.jpgNOPUハワイ日和MENEHUNE,アレレコ,カウアイ島,ノウノウ山,ハワイ,フィッシュポンド,プニ,メネフネ,メネフネ・ディッチ,ワイメア,伝説,養殖池ハワイで何気なく買ったミネラル・ウォーターのボトルに、笑顔で踊っているような人が描かれたラベルが、貼られていたことはありませんか。ラベルに描かれた男性は、マロ(トラディショナルなハワイのふんどし)とレイをつけて、マヒオレ(羽で覆われたヘルメット)のようなものを被っています。カメハメハ大王像にも似ているので、ハワイの王様なのかな、と思われた方は、ミネラル・ウォーターの名前を見てください。「MENEHUNE」メネフネ? メネフネって誰でしょう。今回は、メネフネとメネフネが残した(と言われる)史跡についてご紹介します。 メネフネは、昔々ハワイに住んでいた、と言われる、身体の小さな人々です。背の高さは2,3フィート(60cmから90cm)とも6インチ(15cm)ほど、とも言われていて、はっきりしません。よくわからないのは、メネフネは人前に現れることを、とても嫌っているからかもしれません。でも、ハワイにはメネフネが作った、と言われる史跡や、メネフネにまつわる伝説がたくさん残っています。メネフネは、陽気でいたずら好きだけど、力持ちで勤勉。おいしいものが好きで、ごちそうと引き換えに、人間ではなかなか作れない物を、あっという間に作ってくれたりしました。 メネフネの伝説は、ハワイの各地に残っていますが、なかでも多く残っているのはカウアイ島です。カウアイ島の東、ナヴィリナヴィリ港のすぐ近くにあるアレココは、通称メネフネ・フィッシュポンド(養魚池)と呼ばれています。と言うのも、この養魚池はメネフネが一夜にして作った、と言われているからです。ある月夜に、メネフネたちは30kmほど離れた場所から石を運び、養魚池を作り始めました。メネフネたちは、仕事中に犬やニワトリの鳴き声を聞いたり、人に見られたら作業を止める、と人間たちに伝えましたが、好奇心に負けた人間が作業を覗いたため、養魚池は未完成になってしまったそうです。養魚池は、千年以上前に作られたにも関わらず、非常に緻密にできています。メネフネの仕事は、丁寧で迅速、と言われていますからね。フレマル・ロードをナヴィリナヴィリ港へと降りて行くと、唐突にアレココ養魚池を臨む展望台が現れます。マングローブに囲まれた養魚池は、とても大きくて、晴れた日は池の向こうに見える山並みが、きれいです。 ワイメアはオアフ島にもハワイ島にもある町の名前ですが、カウアイ島のワイメアはワイメア・キャニオンへの入り口の町でもあり、かつてサトウキビ・プランテーションで栄えた町でもあり、キャプテン・クックがハワイに初めて上陸した場所でもあります。ワイメアから、その名もメネフネ・ロードをどんどん行ったところに、メネフネが作ったと言われる水路があります。キキアオラ、通称メネフネ・ディッチは、道路脇にある細い水路ですが、川よりも高い場所にある畑に水を引くなど、高度な技術で作られました。使用された石材から、タヒチから多くの人々が移住してくる以前に、作られたものではないか、とも言われています。ハワイアンよりも前に定住した民族が作ったのでしょうか、それともメネフネが作ったのでしょうか?さて今回は、メネフネの仕事の様子を覗いたり、犬やニワトリを鳴かせたりしない、という約束が守られたため、この水路は完成しました。お礼に川エビが、メネフネたち振舞われたそうです。水路の大部分は、今はもうありません。残っている水路は、一見、道路脇の溝のよう。でも、よく見ると小さなトンネルを作って崖に水路を通していたり、メネフネならではの技術を感じます。 カウアイ島の東、ワイルアにあるノウノウ山は、スリーピング・ジャイアントと呼ばれています。昔々、プニという巨人が、メネフネたちと仲良く暮らしていました。ある夜、オアフ島の人々が、海を渡ってカウアイ島へ攻めてきました。メネフネたちは、眠っているプニを起こそうとしますが、なかなか起きません。メネフネたちは、石をプニに投げて起こそうとしましたが、この石が原因でプニは死んでしまいます。一方、オアフ島から攻めてきた人々は、プニの寝姿に驚いて逃げ帰りました。敵が逃げ帰ったのは良かったのですが、プニが死んでしまい、メネフネたちはとても嘆き悲しみました。そのプニの亡骸が、ノウノウ山ということです。現在、ノウノウ山は、人気のトレッキング・コースになっています。プニは死んだのではなく、眠っているだけ、という話もあるので、山登り中に巨人が起きないといいですね。 ところで、メネフネは本当にいたのでしょうか。メネフネは、タヒチからポリネシア人がハワイへ移住する前、マルケサス諸島から移住してきた人々だったのではないか、という説があります。タヒチから移住してきた人々と、マルケサス諸島から移住してきた人々に、それほどの体格差はなかったと思われますが、マイノリティという意味で「小さい人々」と言われたのかもしれません。19世紀初頭に、カウアイ島の国勢調査で65人の人たちが、自分たちはメネフネである、と申請しましたが、身体が小さい人たちではなかったそうです。 自分たちはメネフネである、と申請した人たちは、カウアイ島北部に住む人たちでしたが、メネフネたちはカウアイ島の北部から、更に北へと旅立った、と言われています。カウアイ島の北西に連なる北西ハワイ諸島の中には、ヘイアウ(ハワイの寺院)と思われる遺跡が発見されている島がありますが、メネフネが立ち寄った跡かもしれません。ハワイの自然・文化・歴史、ライフスタイルを語る