2021年になりました。今年は丑年。ハワイで牛、と言えば、アメリカ合衆国でも屈指の規模を持つ、ハワイ島のパーカー牧場が有名です。と言うわけで、今回はハワイ島のパーカー牧場とハワイの牛について、ご紹介しましょう。なんだか、雑な展開ですが、新年ですので、ひとつ大目に見てくださいますよう・・・。

ハワイの牛。今年モー、よろしくお願いします
ハワイの牛。今年モー、よろしくお願いします

ハワイに牛が来たのは、18世紀の終わり。ハワイ島を訪れた、イギリス人の探検家ジョージ・バンクーバーによって、カメハメハ大王へ献上された牛が、ハワイに初めて来た牛たちです。カメハメハ大王は、その牛たちを放牧し、保護するための厳格なカプ(ハワイ語で「禁忌」)を発したので、牛はハワイ島で爆発的に増えてしまいました。しかも増えた牛たちは、農地を荒らしたり人間を傷つけたり、と暴れ放題です。その頃、船乗りがイヤになっていたジョン・パーマー・パーカーが、ハワイ島に住むことをカメハメハ大王に許されました。当時は、白人の居住は許されていなかったので、パーカーは特別扱いだったのです。カメハメハ大王に気に入られたパーカーは、ハワイ島にたくさんいる牛で、牧場を作ることも許可されます。この牧場が、全米でも屈指の規模となったパーカー牧場です。

ワイメアは虹も多い町。ドライブしていて、虹を見かける事もしばしば
ワイメアは虹も多い町。ドライブしていて、虹を見かける事もしばしば

パーカー牧場があるハワイ島ワイメアは、ハワイ島の北側、内陸にある町です。標高が高いワイメアは、ハワイの中では涼しく、厚手の上着が欲しいくらいの気温になることもあります。夜間にワイメアを訪れた時に、冷たく強い風に震え上がったことがありますが、コハラの山々とマウナケアに挟まれたワイメアは、風が強く雨も多い場所です。最近では、ワイメアの気候を利用した、高原野菜の農家も多く、ワイメアで開催されるファーマーズ・マーケットでは、レタスなどの葉物野菜が豊富に売られています。ワイメアとパーカー牧場の関わりは深く、街中でひときわ目立つショッピングセンター、パーカー・ランチ・センターもパーカー牧場の一部だそうです。また、ワイメアという地名がハワイ州内に多いことから、ハワイ島のワイメアは「カムエラ」と呼ばれることがあります。「カムエラ(Kamuela)」とは「サミュエル(Samuel)」をハワイ語風にしたもので、ジョン・パーカーの孫にあたる、サミュエル・パーカーの名前が由来である、と言われています。

パニオロ・ヘリテージ・センターに展示された馬具
パニオロ・ヘリテージ・センターに展示された馬具

パーカー・ランチ・センターの裏手にあるパニオロ・ヘリテージ・センターも、パーカー牧場に由来しています。「パニオロ」とは、「エスパニョール(スペイン人)」がハワイ語風になったものです。カメハメハ大王が亡くなり、牛を保護する、というカプは廃止されましたが、野生化した牛は依然そのままでした。そこで、牛を管理するためにカリフォルニアから、カウボーイたちが呼ばれました。カウボーイたちは、スペイン語を話すメキシコ系の人々であったため、彼らの事をハワイの人たちは「パニオロ」と呼んだのです。今でも、ハワイで「パニオロ」と言えば、カウボーイを指す言葉になっています。パニオロ・ヘリテージ・センターには、昔から牧場で使われてきた馬具や、歴代のパニオロたちの写真が展示してあります。日系人のパニオロのみなさんの写真も多く、高見山関が牧場を訪れた際の写真も展示されていました。パニオロ・ヘリテージ・センターは、ファーマーズ・マーケットの会場にもなっているので、ワイメアの高原野菜を買いながら、パニオロの歴史にも触れることができますね。

パーカー・ランチ・ヒストリック・ホーム。大きなクック・パインの隣の邸宅がプウオペル
パーカー・ランチ・ヒストリック・ホーム。大きなクック・パインの隣の邸宅がプウオペル

パーカー牧場の歴史を辿るなら、パーカー・ランチ・ヒストリック・ホームへの訪問もかかせません。ワイメアから190号線を少し南下したところに、パーカー・ランチ・ヒストリック・ホームへの入り口があります。木立がトンネルを作る、長い長いアプローチを抜けると、芝の広がる瀟洒な庭園とパーカー家の2つの邸宅が現れます。この庭園から見る景色は、ハワイ島の中でも一見の価値がある素晴らしい風景です。コハラ山脈を背景にした牧場には、馬たちがのんびり草を食んでいます。時折吹き抜ける風に、木や草が揺れる音がしますが、とても静かです。邸宅を背に振り返ると、マウナケアの姿も見えます。

ジョン・パーカーが住んだマナ・ハレ(再建)
ジョン・パーカーが住んだマナ・ハレ(再建)

小さい方の家が、パーカー家の初代当主となったジョン・パーカーが住んだ家、マナ・ハレ(ハワイ語で「魂の家」)です。カメハメハ大王のお気に入りだったジョン・パーカーは、大王の孫娘と結婚し、この家を建てました。19世紀の初頭に建てられたマナ・ハレは、隣の大邸宅と比べると、質素な印象を受けますが、室内には貴重なコア材で作られた家具が展示されています。この家は1986年にパーカー家最後の当主、リチャード・スマートによって再建されたもので、オリジナルのマナ・ハレは、今もワイメア郊外に建っているそうです。

プウオペルの居間、グレート・ホール
プウオペルの居間、グレート・ホール

マナ・ハレの隣に建つのは、1879年に2代目当主のジョン・パーカー2世が購入したプウオペルと呼ばれるマナー・ハウスです。プウオペルは、まさに大邸宅。コア材の大きな扉、石造りの暖炉、フレンチ・ドアから見えるヨーロッパ風の庭園、豪華な室内には、リチャード・スマートの高価な美術コレクションも展示されています。リチャード・スマートは、信託財団にパーカー牧場を残して亡くなったので、パーカー・ランチは個人所有の牧場ではなくなりました。ハワイの牧場の基礎を築き、ハワイ王室とも深い関わりのあったパーカー家。パニオロの町ワイメアは、パーカー家なしでは語ることができないでしょう。さて、肝心の牛の姿は、と言うと、ワイメアの町から少し離れた牧草地で見つけることができます。

ワイメア周辺の牧草地で草を食む牛たち
ワイメア周辺の牧草地で草を食む牛たち
牛を探そう!<ハワイ島>https://www.holoholo.world/kawaraban/wp-content/uploads/2021/01/hawaiibiyori268.jpghttps://www.holoholo.world/kawaraban/wp-content/uploads/2021/01/hawaiibiyori268-150x150.jpgNOPUハワイ日和カムエラ,コハラ,ジョン・パーマー・パーカー,ハワイ,ハワイ島,パニオロ,パニオロ・ヘリテージ・センター,パーカー・ランチ・ヒストリック・ホーム,パーカー牧場,マナー・ハウス,ワイメア,牛2021年になりました。今年は丑年。ハワイで牛、と言えば、アメリカ合衆国でも屈指の規模を持つ、ハワイ島のパーカー牧場が有名です。と言うわけで、今回はハワイ島のパーカー牧場とハワイの牛について、ご紹介しましょう。なんだか、雑な展開ですが、新年ですので、ひとつ大目に見てくださいますよう・・・。 ハワイに牛が来たのは、18世紀の終わり。ハワイ島を訪れた、イギリス人の探検家ジョージ・バンクーバーによって、カメハメハ大王へ献上された牛が、ハワイに初めて来た牛たちです。カメハメハ大王は、その牛たちを放牧し、保護するための厳格なカプ(ハワイ語で「禁忌」)を発したので、牛はハワイ島で爆発的に増えてしまいました。しかも増えた牛たちは、農地を荒らしたり人間を傷つけたり、と暴れ放題です。その頃、船乗りがイヤになっていたジョン・パーマー・パーカーが、ハワイ島に住むことをカメハメハ大王に許されました。当時は、白人の居住は許されていなかったので、パーカーは特別扱いだったのです。カメハメハ大王に気に入られたパーカーは、ハワイ島にたくさんいる牛で、牧場を作ることも許可されます。この牧場が、全米でも屈指の規模となったパーカー牧場です。 パーカー牧場があるハワイ島ワイメアは、ハワイ島の北側、内陸にある町です。標高が高いワイメアは、ハワイの中では涼しく、厚手の上着が欲しいくらいの気温になることもあります。夜間にワイメアを訪れた時に、冷たく強い風に震え上がったことがありますが、コハラの山々とマウナケアに挟まれたワイメアは、風が強く雨も多い場所です。最近では、ワイメアの気候を利用した、高原野菜の農家も多く、ワイメアで開催されるファーマーズ・マーケットでは、レタスなどの葉物野菜が豊富に売られています。ワイメアとパーカー牧場の関わりは深く、街中でひときわ目立つショッピングセンター、パーカー・ランチ・センターもパーカー牧場の一部だそうです。また、ワイメアという地名がハワイ州内に多いことから、ハワイ島のワイメアは「カムエラ」と呼ばれることがあります。「カムエラ(Kamuela)」とは「サミュエル(Samuel)」をハワイ語風にしたもので、ジョン・パーカーの孫にあたる、サミュエル・パーカーの名前が由来である、と言われています。 パーカー・ランチ・センターの裏手にあるパニオロ・ヘリテージ・センターも、パーカー牧場に由来しています。「パニオロ」とは、「エスパニョール(スペイン人)」がハワイ語風になったものです。カメハメハ大王が亡くなり、牛を保護する、というカプは廃止されましたが、野生化した牛は依然そのままでした。そこで、牛を管理するためにカリフォルニアから、カウボーイたちが呼ばれました。カウボーイたちは、スペイン語を話すメキシコ系の人々であったため、彼らの事をハワイの人たちは「パニオロ」と呼んだのです。今でも、ハワイで「パニオロ」と言えば、カウボーイを指す言葉になっています。パニオロ・ヘリテージ・センターには、昔から牧場で使われてきた馬具や、歴代のパニオロたちの写真が展示してあります。日系人のパニオロのみなさんの写真も多く、高見山関が牧場を訪れた際の写真も展示されていました。パニオロ・ヘリテージ・センターは、ファーマーズ・マーケットの会場にもなっているので、ワイメアの高原野菜を買いながら、パニオロの歴史にも触れることができますね。 パーカー牧場の歴史を辿るなら、パーカー・ランチ・ヒストリック・ホームへの訪問もかかせません。ワイメアから190号線を少し南下したところに、パーカー・ランチ・ヒストリック・ホームへの入り口があります。木立がトンネルを作る、長い長いアプローチを抜けると、芝の広がる瀟洒な庭園とパーカー家の2つの邸宅が現れます。この庭園から見る景色は、ハワイ島の中でも一見の価値がある素晴らしい風景です。コハラ山脈を背景にした牧場には、馬たちがのんびり草を食んでいます。時折吹き抜ける風に、木や草が揺れる音がしますが、とても静かです。邸宅を背に振り返ると、マウナケアの姿も見えます。 小さい方の家が、パーカー家の初代当主となったジョン・パーカーが住んだ家、マナ・ハレ(ハワイ語で「魂の家」)です。カメハメハ大王のお気に入りだったジョン・パーカーは、大王の孫娘と結婚し、この家を建てました。19世紀の初頭に建てられたマナ・ハレは、隣の大邸宅と比べると、質素な印象を受けますが、室内には貴重なコア材で作られた家具が展示されています。この家は1986年にパーカー家最後の当主、リチャード・スマートによって再建されたもので、オリジナルのマナ・ハレは、今もワイメア郊外に建っているそうです。 マナ・ハレの隣に建つのは、1879年に2代目当主のジョン・パーカー2世が購入したプウオペルと呼ばれるマナー・ハウスです。プウオペルは、まさに大邸宅。コア材の大きな扉、石造りの暖炉、フレンチ・ドアから見えるヨーロッパ風の庭園、豪華な室内には、リチャード・スマートの高価な美術コレクションも展示されています。リチャード・スマートは、信託財団にパーカー牧場を残して亡くなったので、パーカー・ランチは個人所有の牧場ではなくなりました。ハワイの牧場の基礎を築き、ハワイ王室とも深い関わりのあったパーカー家。パニオロの町ワイメアは、パーカー家なしでは語ることができないでしょう。さて、肝心の牛の姿は、と言うと、ワイメアの町から少し離れた牧草地で見つけることができます。ハワイの自然・文化・歴史、ライフスタイルを語る