今日のカウアイ島は、久しぶりのお天気。
心地よい風が吹いて、過ごしやすい島の午後です。

我が家は比較的、朝が早く、起床は5時半。
起床時に家の外がまだ暗く、ライトをつける必要がある季節になりました。

1ヶ月ほど前に(10月15日)、
メインランドからの国内線や、
いくつかの国からの国際線フライトが復活して、
島にはツーリストが戻って来ました。

コロナ以前の状況とは比較にならないツーリストの数ではあるものの、
観光客をメインのカスタマーにしていたショッピングセンターや、
観光業で成り立っているポイプ・エリアにはたくさんのツーリストの姿が戻って来ているように思います。

観光業で食べていた人々の暮らしが元の状態に戻っていくことをよかったと思う一方で、
なにか観光だけに頼らずにこの島が生き延びていく道もあればいいのになぁということも思います。
コロナというものが、
これまでの働き方、暮らし方、
「観光で食べていく」ということの意味、
過多な交通量などが自然に与える影響、
いろいろなことを考えるきっかけにもなったように思います。

最近になって日本では「限界集落」という名前で呼ばれる地域があることを知りました(浦島太郎状態になっていますね)。
過疎化や少子化、高齢化が進み、人口の50%以上が65歳以上となった集落を指すそうで、集落としての共同体の機能が”限界”に近づきつつある地域を指して、そう呼ぶそうです。
そしてその集落がなくなることでまた、周囲の自然環境に与える悪影響も起こる … 。

カウアイ島に来てから、時々思うのは、
なぜいったん島を出て行った若い世代がこの島に帰ってくる傾向があるのか、
ということです。

いったん都会の刺激に満ちて、便利な暮らしを体験したら、
なかなか不便な田舎の町には戻ってこない … そして田舎の過疎化が進む、
と、日本ではそう理解していたことが、この島ではあまり起こらない。

この島で生まれ育った友人にそれを聞いてみました。
彼女はメインランドとオアフで10年近くを過ごして、5年ほど前にこの島に戻って来ました。
コスメやファッション、音楽が大好きな彼女です。
「なんで、この島に戻って来たの?」と聞くと
「なんでって?」と彼女。
「都会の暮らしの方があなたに合ってそうじゃない?」というと
「都会の文化的なものは今でも大好きだけど、暮らしやすいもの、この島」と返って来ました。

たとえば何が暮らしやすいのかというと、
歩いていけば人気の少ないビーチがあって、
車を走らせればいつでも朝陽と夕陽が見られる場所に移動できて、自由だからかな。
と言っていました。

場所によって夕陽の色がうんと違う。これは島の南、この日の夕陽がゴールデンオレンジでした
場所によって夕陽の色がうんと違う。これは島の南、この日の夕陽がゴールデンオレンジでした

それから、子どもを育てるのには最適でしょ、この島。とも言っていました。
「あなた、子どもいないよね~」「そうそう、いないけどね~」と笑い合いましたが、
この島では自分の子どもではなくても、
親戚の子どもや、友人の子どもを預かり、そこに時間を費やす場面も少なくないのは事実です。

日本での田舎の暮らしは「窮屈だ」ということを耳にしますが、
この島でもそれがないわけではないと思います。
十分に閉鎖的な面も見るし、田舎とセットの不便さはなかなかの度合いです。
人目があっても「気にしない」という文化的な面は大きく違うように思いますが … 。

そして、友人が言っていた、「自由だからかな」。
ここにもナニカがあるように思います。
何を自由と捉えるのか … 観点を変えるだけで自由の定義も、便利さの定義も
すべてがひっくり返ってしまうのだなぁと思います。

動画の撮影でちょっとフラ。間もなくYouTubeになります
動画の撮影でちょっとフラ。間もなくYouTubeになります

日本の過疎の村とこの島を比較することに意味はないと思うので、
それはしないのですが、
移住して年数を重ねるほどに、
”不便さの利“ というものが暮らしにもたらすものについて
どんどん知っていっているように感じています。

スピードが速すぎない暮らし、
刺激を自分の中から生み出すチカラ、
時計の針にコントロールされない暮らし、
忙しいということを隠れみのにしない暮らし、
待つということへの忍耐力、
自然との共存で身につくリズムがくれる恩恵 …
不便さにもたくさんの”利”があるように思います。

でも、こう書きながらも、去年の11月から行けていない日本が恋しい日々です。
都会の良さ、田舎の良さ、どちらも大好き。
日本もカウアイ島もどちらも大大好き。
日本には日本の、カウアイ島にはカウアイ島の、ここそこの場所にはここそこの、
それぞれの素晴らしさがあると思います。

そういう違いを受け入れて、文化の違いに歩み寄って、
いろんな意味でボーダーレスな … 線引きのない世の中になるといいのかな。

たくさんの差別や偏見が少しでも減りますように。
動物や植物、自然、いろいろないのちが守られていきますように。
ニンゲン以外のいのちやシアワセを考える社会にシフトしますように。

どうぞみなさんも窮屈さに心身をゆだねることなく、笑って日々を過ごされていますように。
このページで言葉を通じてみなさんと繋がれる時間が少しでも長く続きますように。

カウアイより、心からのアロハを込めて。

※墨アートなるものを描いてインスタグラムに投稿しています。

墨アートを描いたり、絵本の挿絵にも挑戦中です。
墨アートを描いたり、絵本の挿絵にも挑戦中です。
「限界集落」を描いたのは、インスタ上の書道クラブの課題でした
「限界集落」を描いたのは、インスタ上の書道クラブの課題でした

アカウント名 minori_kauai
インスタをされている方、よかったらのぞいて見てください

みんなにいいことがありますように、ふたたび。https://www.holoholo.world/kawaraban/wp-content/uploads/2020/11/kauai266.jpghttps://www.holoholo.world/kawaraban/wp-content/uploads/2020/11/kauai266-150x150.jpgミノリ エヴァンスカウアイ日記カウアイ島,ハワイ,島暮らし,田舎暮らし,移住今日のカウアイ島は、久しぶりのお天気。 心地よい風が吹いて、過ごしやすい島の午後です。 我が家は比較的、朝が早く、起床は5時半。 起床時に家の外がまだ暗く、ライトをつける必要がある季節になりました。 1ヶ月ほど前に(10月15日)、 メインランドからの国内線や、 いくつかの国からの国際線フライトが復活して、 島にはツーリストが戻って来ました。 コロナ以前の状況とは比較にならないツーリストの数ではあるものの、 観光客をメインのカスタマーにしていたショッピングセンターや、 観光業で成り立っているポイプ・エリアにはたくさんのツーリストの姿が戻って来ているように思います。 観光業で食べていた人々の暮らしが元の状態に戻っていくことをよかったと思う一方で、 なにか観光だけに頼らずにこの島が生き延びていく道もあればいいのになぁということも思います。 コロナというものが、 これまでの働き方、暮らし方、 「観光で食べていく」ということの意味、 過多な交通量などが自然に与える影響、 いろいろなことを考えるきっかけにもなったように思います。 最近になって日本では「限界集落」という名前で呼ばれる地域があることを知りました(浦島太郎状態になっていますね)。 過疎化や少子化、高齢化が進み、人口の50%以上が65歳以上となった集落を指すそうで、集落としての共同体の機能が”限界”に近づきつつある地域を指して、そう呼ぶそうです。 そしてその集落がなくなることでまた、周囲の自然環境に与える悪影響も起こる … 。 カウアイ島に来てから、時々思うのは、 なぜいったん島を出て行った若い世代がこの島に帰ってくる傾向があるのか、 ということです。 いったん都会の刺激に満ちて、便利な暮らしを体験したら、 なかなか不便な田舎の町には戻ってこない … そして田舎の過疎化が進む、 と、日本ではそう理解していたことが、この島ではあまり起こらない。 この島で生まれ育った友人にそれを聞いてみました。 彼女はメインランドとオアフで10年近くを過ごして、5年ほど前にこの島に戻って来ました。 コスメやファッション、音楽が大好きな彼女です。 「なんで、この島に戻って来たの?」と聞くと 「なんでって?」と彼女。 「都会の暮らしの方があなたに合ってそうじゃない?」というと 「都会の文化的なものは今でも大好きだけど、暮らしやすいもの、この島」と返って来ました。 たとえば何が暮らしやすいのかというと、 歩いていけば人気の少ないビーチがあって、 車を走らせればいつでも朝陽と夕陽が見られる場所に移動できて、自由だからかな。 と言っていました。 それから、子どもを育てるのには最適でしょ、この島。とも言っていました。 「あなた、子どもいないよね~」「そうそう、いないけどね~」と笑い合いましたが、 この島では自分の子どもではなくても、 親戚の子どもや、友人の子どもを預かり、そこに時間を費やす場面も少なくないのは事実です。 日本での田舎の暮らしは「窮屈だ」ということを耳にしますが、 この島でもそれがないわけではないと思います。 十分に閉鎖的な面も見るし、田舎とセットの不便さはなかなかの度合いです。 人目があっても「気にしない」という文化的な面は大きく違うように思いますが … 。 そして、友人が言っていた、「自由だからかな」。 ここにもナニカがあるように思います。 何を自由と捉えるのか … 観点を変えるだけで自由の定義も、便利さの定義も すべてがひっくり返ってしまうのだなぁと思います。 日本の過疎の村とこの島を比較することに意味はないと思うので、 それはしないのですが、 移住して年数を重ねるほどに、 ”不便さの利“ というものが暮らしにもたらすものについて どんどん知っていっているように感じています。 スピードが速すぎない暮らし、 刺激を自分の中から生み出すチカラ、 時計の針にコントロールされない暮らし、 忙しいということを隠れみのにしない暮らし、 待つということへの忍耐力、 自然との共存で身につくリズムがくれる恩恵 ... 不便さにもたくさんの”利”があるように思います。 でも、こう書きながらも、去年の11月から行けていない日本が恋しい日々です。 都会の良さ、田舎の良さ、どちらも大好き。 日本もカウアイ島もどちらも大大好き。 日本には日本の、カウアイ島にはカウアイ島の、ここそこの場所にはここそこの、 それぞれの素晴らしさがあると思います。 そういう違いを受け入れて、文化の違いに歩み寄って、 いろんな意味でボーダーレスな … 線引きのない世の中になるといいのかな。 たくさんの差別や偏見が少しでも減りますように。 動物や植物、自然、いろいろないのちが守られていきますように。 ニンゲン以外のいのちやシアワセを考える社会にシフトしますように。 どうぞみなさんも窮屈さに心身をゆだねることなく、笑って日々を過ごされていますように。 このページで言葉を通じてみなさんと繋がれる時間が少しでも長く続きますように。 カウアイより、心からのアロハを込めて。 ※墨アートなるものを描いてインスタグラムに投稿しています。 アカウント名 minori_kauai インスタをされている方、よかったらのぞいて見てくださいハワイの自然・文化・歴史、ライフスタイルを語る