マウイ島が海面に姿を現したのは今からおよそ110万年前のことです。最初に西マウイが誕生し、続いて東部のハレアカラーが形成されました。初期のマウイ島はモロカイ島、ラナイ島、カホオラヴェ島をも包みこむ巨大な島でした。当時の島を指してマウイ・ヌイ(大マウイ)と呼ばれます。その後の侵食でマウイ・ヌイは引き裂かれ、今日の島々が形成されました。

西マウイの霊山イアオ・ニードル

西マウイ

西マウイの最高峰は標高1764mのプウ・ククイです。この山はマウナ・カハラヴァイとも呼ばれます。前者はこの山にククイの木が多いことに由来します。ククイには「啓示」だとか「悟り」という意味があり、後者には「色とりどりの」という意味があります。山々の外観や色合いが異なることに寄るとされ、幾多の神々が住むためだと信じられました。ちなみに、マウナ・カハラヴァイと呼ばれるときは特定の山頂を指すのではなく、西マウイの山々を指す集合名詞として用いられるという説もあります。

西マウイ山奥のホノコーハウ滝

このため、イアオ渓谷をはじめとする周辺の山は歴代の首長(アリイ)の墓地として代々使われてきました。そのことが、カメハメハ1世によるマウイ進軍の際、この地で戦えば神々を味方につけて有利に戦えるという根拠になりました。しかし、オアフ島からハワイまでを支配した大王であるカヘキリの息子が率いたマウイ軍には旧式の剣や槍しかなく、イギリス軍のジョン・ヤングとアイザック・デイビスが持ち込んだ大砲で重装備したカメハメハ軍の敵ではありませんでした。マウイ軍はケパニヴァイの戦いと呼ばれるこの地で2日間戦い、ほとんどが殺されました。その血は何ヶ月もここから流れるイアオ川を赤く染めたと言われます。戦いを率いたマウイ島の女性首長であるカロラは生き残りましたが、この戦いで逃げた孫娘のケオープーオラニは、カメハメハ1世の妻として捧げられました。*1

西マウイには多くの固有植物や固有動物が分布し、銀剣草の仲間であるグリーンソードや小型のオヒア、ロベリアなどがよく知られています。しかしながらこの地域もハワイの他の地域と同じようにブタやヤギの食害という問題を抱えています。西マウイはカウアイ島に次ぐ世界有数の多雨地帯で、平均年間降雨量は9,000~11,000mmに達します。そのせいで山間部には多くの滝がかかります。最大落差を誇るホノコーハウ滝(落差約100m)は、プウ・ククイの山頂付近から落下します。

*1 カメハメハ1世には公式には4名の妻がいますが、実際には13名か、それ以上の妻がいました。

島の南側から望むハレアカラー

東マウイ

東マウイ最古の溶岩流は約110万年前とされますが、海底噴火は200万年ほど前に始まり、今日の山容(島)が形づくられたのはおよそ60万年前です。過去3万年の間に起きた噴火はほぼ南西リフトゾーンと東リフトゾーンに集中します。西マウイの火山活動が沈静化したのは100万年ほど前ですが、その後にハレアカラーが海上に出現しました。75万年ほど前に最大の山容となり、その後浸食を受け、30万年ほど前にはほぼふたつの山塊に断裂しました。

さらに7万年ほど前に再び噴火活動が活発となり、噴出した溶岩が渓谷を埋め尽くして今日の形状が出現しました。山頂クレーターは、北に向かって伸びるコオラウ・ギャップ(峡谷)と、南西に伸びるカウポ・ギャップに分かれます。後者はさらに中腹で2つに分かれ、北側はワイホイ渓谷、南側はキーパフル渓谷となって海岸へと続きます。

ハレアカラーのクレーター

ハワイの火山活動と言えばハワイ島のことのように思えますが、ハレアカラーではこの1,000年の間に少なくとも10回以上の噴火が記録されています。もっとも新しい噴火は1790年に記録されており、これ以外にも1480年から1600年にかけて数度の噴火があったことが判明しています。このことからも分かるように、マウイ島の火山活動はまだ終息していません。

島のほぼ全域を占めるハレアカラーの標高は3056m。山頂には短径3.5km、長径9.5~12km、最深部は860mの巨大なクレーターが北から南西にかけて広がります。クレーターが今日の形状に固まったのは12万年前から15万年前と推定されます。山頂から南西方向のラペルーズ湾方面と、東麓から東のハナにかけての南麓には、ハワイ島とよく似た溶岩平原が見られます。また、山頂クレーターから南東部の海岸に至る渓谷はハレアカラー国立公園となっており、多くの観光客が訪れますが、西部は手つかずの自然として手厚く保護されています。保護地区にはマウイ島でしか見られない固有植物が分布し、ハワイ諸島に固有の野鳥が生息します。

クレーター内に育つ銀剣草

東マウイの大半を占めるハレアカラーは「太陽の住みか(hale a ka lā)」という意味ですが、この名前は山頂のクレーターに付けられたもので、山全体を指す言葉ではありません。一説によれば、西マウイを含む高山の頂はいずれもハレアカラーと呼ばれたとのことです。(東マウイの)ハレアカラー山頂には半神マウイの伝説があります。山名の由来はマウイが太陽を捕まえ、それまで高速で回転していた太陽をゆっくりと回るように指示したというものですが、他にも多くの神話が残されています。荒涼としたクレーターの景観とは対照的に、南東麓のキパフルは深い緑に覆われ、渓谷が刻まれています。オヘオと名づけられたプールがあり、この一帯には年間6,000mm以上の降雨があります。

ハレアカラとマウイ島の山々https://www.holoholo.world/kawaraban/wp-content/uploads/2019/06/special249.jpghttps://www.holoholo.world/kawaraban/wp-content/uploads/2019/06/special249-150x150.jpg近藤純夫特集イアオ渓谷,ハレアカラー,ホノコーハウ,マウイ・ヌイ,大マウイ,東マウイ,西マウイマウイ島が海面に姿を現したのは今からおよそ110万年前のことです。最初に西マウイが誕生し、続いて東部のハレアカラーが形成されました。初期のマウイ島はモロカイ島、ラナイ島、カホオラヴェ島をも包みこむ巨大な島でした。当時の島を指してマウイ・ヌイ(大マウイ)と呼ばれます。その後の侵食でマウイ・ヌイは引き裂かれ、今日の島々が形成されました。 西マウイ 西マウイの最高峰は標高1764mのプウ・ククイです。この山はマウナ・カハラヴァイとも呼ばれます。前者はこの山にククイの木が多いことに由来します。ククイには「啓示」だとか「悟り」という意味があり、後者には「色とりどりの」という意味があります。山々の外観や色合いが異なることに寄るとされ、幾多の神々が住むためだと信じられました。ちなみに、マウナ・カハラヴァイと呼ばれるときは特定の山頂を指すのではなく、西マウイの山々を指す集合名詞として用いられるという説もあります。 このため、イアオ渓谷をはじめとする周辺の山は歴代の首長(アリイ)の墓地として代々使われてきました。そのことが、カメハメハ1世によるマウイ進軍の際、この地で戦えば神々を味方につけて有利に戦えるという根拠になりました。しかし、オアフ島からハワイまでを支配した大王であるカヘキリの息子が率いたマウイ軍には旧式の剣や槍しかなく、イギリス軍のジョン・ヤングとアイザック・デイビスが持ち込んだ大砲で重装備したカメハメハ軍の敵ではありませんでした。マウイ軍はケパニヴァイの戦いと呼ばれるこの地で2日間戦い、ほとんどが殺されました。その血は何ヶ月もここから流れるイアオ川を赤く染めたと言われます。戦いを率いたマウイ島の女性首長であるカロラは生き残りましたが、この戦いで逃げた孫娘のケオープーオラニは、カメハメハ1世の妻として捧げられました。*1 西マウイには多くの固有植物や固有動物が分布し、銀剣草の仲間であるグリーンソードや小型のオヒア、ロベリアなどがよく知られています。しかしながらこの地域もハワイの他の地域と同じようにブタやヤギの食害という問題を抱えています。西マウイはカウアイ島に次ぐ世界有数の多雨地帯で、平均年間降雨量は9,000~11,000mmに達します。そのせいで山間部には多くの滝がかかります。最大落差を誇るホノコーハウ滝(落差約100m)は、プウ・ククイの山頂付近から落下します。 *1 カメハメハ1世には公式には4名の妻がいますが、実際には13名か、それ以上の妻がいました。 東マウイ 東マウイ最古の溶岩流は約110万年前とされますが、海底噴火は200万年ほど前に始まり、今日の山容(島)が形づくられたのはおよそ60万年前です。過去3万年の間に起きた噴火はほぼ南西リフトゾーンと東リフトゾーンに集中します。西マウイの火山活動が沈静化したのは100万年ほど前ですが、その後にハレアカラーが海上に出現しました。75万年ほど前に最大の山容となり、その後浸食を受け、30万年ほど前にはほぼふたつの山塊に断裂しました。 さらに7万年ほど前に再び噴火活動が活発となり、噴出した溶岩が渓谷を埋め尽くして今日の形状が出現しました。山頂クレーターは、北に向かって伸びるコオラウ・ギャップ(峡谷)と、南西に伸びるカウポ・ギャップに分かれます。後者はさらに中腹で2つに分かれ、北側はワイホイ渓谷、南側はキーパフル渓谷となって海岸へと続きます。 ハワイの火山活動と言えばハワイ島のことのように思えますが、ハレアカラーではこの1,000年の間に少なくとも10回以上の噴火が記録されています。もっとも新しい噴火は1790年に記録されており、これ以外にも1480年から1600年にかけて数度の噴火があったことが判明しています。このことからも分かるように、マウイ島の火山活動はまだ終息していません。 島のほぼ全域を占めるハレアカラーの標高は3056m。山頂には短径3.5km、長径9.5~12km、最深部は860mの巨大なクレーターが北から南西にかけて広がります。クレーターが今日の形状に固まったのは12万年前から15万年前と推定されます。山頂から南西方向のラペルーズ湾方面と、東麓から東のハナにかけての南麓には、ハワイ島とよく似た溶岩平原が見られます。また、山頂クレーターから南東部の海岸に至る渓谷はハレアカラー国立公園となっており、多くの観光客が訪れますが、西部は手つかずの自然として手厚く保護されています。保護地区にはマウイ島でしか見られない固有植物が分布し、ハワイ諸島に固有の野鳥が生息します。 東マウイの大半を占めるハレアカラーは「太陽の住みか(hale a ka lā)」という意味ですが、この名前は山頂のクレーターに付けられたもので、山全体を指す言葉ではありません。一説によれば、西マウイを含む高山の頂はいずれもハレアカラーと呼ばれたとのことです。(東マウイの)ハレアカラー山頂には半神マウイの伝説があります。山名の由来はマウイが太陽を捕まえ、それまで高速で回転していた太陽をゆっくりと回るように指示したというものですが、他にも多くの神話が残されています。荒涼としたクレーターの景観とは対照的に、南東麓のキパフルは深い緑に覆われ、渓谷が刻まれています。オヘオと名づけられたプールがあり、この一帯には年間6,000mm以上の降雨があります。ハワイの自然・文化・歴史、ライフスタイルを語る